特別連載 ヒマラヤをシルバー隊がゆく

 クラブ会員の瀬戸さんが2018年3月にヒマラヤトレッキングに行ってきました。クラブニュースに紀行文が掲載されていて、面白いので、許可を得て転載します。「まだまだ続く」とのことですが、今回は第二話までです。
*第三話追加しました2018年11月14日
*第四話・最終回追加しました2019年3月10日

 アンナプルトレッキング 1

○○の間イメージ


 今年3月末から2週間ほどネパール・ヒマラヤのアンナプルナトレッキングに出かけました。道中出会った人々との出会い、美しい草花、荘厳たる山の勇姿を紹介します。参加者は60歳から77歳、平均年齢69歳。男性6人、女性7人の計13人。企画したのは、私の知人で職場の元同僚からの誘い。この間、ヒマラヤをはじめ、ヨーロッパ、南米など世界各地を旅行したり、トレッキングしてきた人たち。今回はその企画にのっかった形で参加しました。不安と期待でいっぱい。さて、どんな旅となるやら。
 初日は、成田から韓国の仁川航空を経由してネパールのカトマンズまで。カトマンズには夕方5時半到着予定と聞いていたので、仁川からのフライト時間は3時間半程度と思っていたのが最初のまちがい。時差が3時間半ほどあり、計7時間のフライト。こんなに長時間飛行機に乗ったのは初めて。しかし、機内で日本語、英語、韓国語のビデオを3本も見ることができた。ちなみにこの空路は中国の上空を通過する4時間ほどは、なぜか日中でも窓を閉めることになっていた。


 カトマンズは標高1100メートルほどの場所にあるが、亜熱帯地域とあって3月末だが、気温は23度ほどあり。暖かいのにビックリ。いつも利用しているホテルに直行した。このホテルの支配人は日本語が堪能で、あたたかいミルクティーで迎えてくれた。
 2日目は、200キロほど離れたポカラへチャーターしたマイクロバスで移動。こちらのバスは日本のものより車高が30センチほど高い。理由は道路事情。町中はほとんど舗装されておらず凸凹で、ほこりだらけ。しかも信号機もほとんどなく。大通りの交差点は警察が交通整理しているが、とにかくみんなが好き勝手に走るという具合。右折などは、そうとう強引にいかないと曲がれない。みんな、警笛をしょっちゅう鳴らしながら少しでも隙間があれば強引に割り込む。我々にはとても運転できない。車の定員も乗れるだけ。バイクも運転者以外はノーヘルメット。小さな子供を抱っこしたお母さんがバイクに後ろに乗る姿は当たり前。
 バスも、ガタガタ道をすごい勢いで追い抜いていく。私たちもしっかりバスの取っ手につかまり、足を踏ん張っていないと身体を支えられない。頭が天井に何度もぶつかりそうになりながら6時間ほどでようやくポカラに到着。ここのホテルの支配人も銀座の料亭で6年ほど働いた経験があり日本語が堪能でした。夕食は近くのレストランで郷土料理のダルバートを食べる。これはうまい。


 アンナプルトレッキング 2

3日目 3月29日(木) 晴れ→雨→雷雨、ポカラ=<バス>=ヒレー→バンタニ
 いよいよトレッキングに出発。といっても登山口までバスにのること3時間半。必要な荷物はバックにまとめ、これをポーターに持ってもらう。私たちは水、雨具、おやつ、セーターなど最小限にして自分のザックに。途中、昼食を食べ、入山手続きを済ませ、標高1300mまでチャーターしたバスであがり、いよいよここから歩き始める。
 みなさん、待ちに待ったのか、ペースが速い。20分も歩くと。3名ほどがバテる。その荷物もポーターに持ってもらい。空身でなんとかついて歩く。この先どうなるか不安がよぎる。3時間ほど歩くと、今日の宿泊地バンタニ(2210m)に到着。大きな谷間の尾根上にある。景色はよい。今日はここまで。

間取りイメージ


4日目 3月30日(金) 快晴→雨→ミゾレ、バンタニ→ゴレパニ→プーンヒル→ゴレパニ
 今日は、標高2860mのゴレパニまで高度をあげる。歩く距離も長い。しばらくあるくと、真っ赤なしゃくなげが大輪の花をさかせている。それは見事で、山全体がシャクナゲに被われ、赤く染まっているように見える。樹木の太さも大きいものは1メートル以上もあり、その古木にコケがついて、なんとも不思議な景色だ。歩く道はほとんど石段がきれいに積まれ歩きやすい。登山者のためか、それとも水牛や馬、ロバなどの家畜が歩きやすいように整備したのか。日本の山道を想像していた私は、ビックリポン。
 宿には午後1時に到着したので、I君と2人で、明日朝予定の展望で有名なプンヒル(丘)3192mまで行く。30分ほど登ると小高い大きな丘に到着。これまでかかっていたガスも切れ、アンナプルナの本峰、アンナプルサウス、マチャプチャレ(フィッシュテール=魚の尻尾)、そした北西にはダウラギなど8000mを越える山々が目の前に。その荘厳たる山姿に圧倒され、年甲斐もなく興奮してはしゃいでしまった。しかも私たち以外はだれもきていない。風が強く非常に寒い、昨夜降った雪が積もっていた。
5日目 3月31日(土) 曇り→晴れ、ゴレパニ→プーンヒル→ゴレパニ→タダパニ
 今日は朝早く起きて、みんなでプンヒルへ。この日は、朝日に染まるアンナプルナを見ようと大勢のトレッカーが丘に登ってきた。丘に上では、暖かいお茶(ミルクティ)も販売していて、みんなで飲んだり、写真を撮ったり。あいにく頂上は雲の上で見ることができなかったが、その雄大な姿にみな感動。宿へ戻りきょうの宿泊地タダパニ(2630m)へ出発。この日は結構長帳場。途中相変わらず美しいシャクナゲやさまざまな美しいお花が私たちを出迎えてくれ、心が和む。600頭の羊の群れとも遭遇。午後5時地に到着。長い一日だった。

                       *宿から見上げるとアンナプルナが迫りくる*
6日目 4月1日(日)晴れ、タダパニ→チョムロン
 朝、山小屋の前広場から、アンナプルナサウスやマチャプチャレが、手に取るようによく見える。朝恒例となった10分間のストレッチをして8時出発。チョムロン(2170m)までは、少し標高を下げるだけだが、谷を挟んだ段々畑を眺めながら、アップダウンを繰り返し歩く。谷を渡る吊り橋も丈夫でりっぱなものだ。15:20チョムロン着。
 チョムロンは、急斜面に造られたチョッとした「街」で、学校もあるようだ。ミニバスケットコートがあった。
 屋根上のテラスで洗濯ものを干しながらまったりする。きもちいい。ちなみに宿泊地の山小屋は日本と違い、すべてベッド。1部屋に2~8人、とベット数によって定員が決まっている。日本のように一つの布団に2人、3人と(しかも他人)と詰め込まれるようなことはない。トイレも水洗。ただし自分で水をバケツからすくって流す。シャワーもついているが、お湯がすぐに出なくなる。それでもさっぱりできて気持ちいい。                          (つづく)

 アンナプルトレッキング 3 

7日目 4月2日(月) 晴れ→雨→曇り、チョムロン→バンブー
 この日は、初めから急な長い階段を約300m下って谷底の吊り橋を渡り、約400mの急な長い階段の登りが待っている。この急坂を馬にまたがり登っていく人を見てびっくり。このアンナプルナトレッキングでは、馬やロバなどによるポーターサービスをやっていたが、ほとんどの荷物はポーターが担いで歩く。しかも、なかにはサンダル履きのポーターも数多くいる。すごい。
 また、この地域では谷間の急斜面にも段々畑が無数に広がり、日本の棚田の風景を思い起こさせる。作物も麦や野菜などさまざまで、なんとみかんまであり、ジューシーでおいしい。
 道は右岸に沿ってアンナプルナへの本谷を進む。結構アップダウンがあり、バンブー(2310m)には15:05着。
8日目 4月3日(火) 晴れ バンブー→デウラリ

 (デウラリの山小屋)
 今日はバンブーを8時に出発し、宿泊地のデウラリ(3230m)までの標高差900mをゆっくりと高度順応しながら登る。徐々に谷が狭くなり両岸の大岩壁を見上げながら進む。いよいよ山奥まで入ってきたという気分になる。途中、銀髪色のサルの群れに遭遇する。デウラリには15:05着。
 今日は私の誕生日。みんなでジュースで乾杯し、宿泊していたスペイン人のギター演奏で、ハッピーバースデーを歌い祝ってくれた。ただし、山小屋の部屋不足で私とI 君は食堂の簡易ベッドで寝ることに。ベッドは一畳ほど高さは1.2m。柵はなく下はコンクリートの床。このトレッキングで一番緊張した夜を過ごす。


9日目 4月4日(水) 晴れ→雪 デウラリ→アンナプルナBC
 今日はいよいよ最終目的地のアンナプルナベースキャンプ(ABC)(4130m)へ。
 宿泊地を8時に出発し、谷筋を大きく回り込みながら行く。ちょうど日本の上高地から横尾、そして屏風岩を見上げながら左に大きく回り込み涸沢カールを目指すような感じ。ただし、谷も岸壁もスケールは桁違い。


 途中にあるマチャプチャレベースキャンプ(MBC、青い屋根の建物)までは天気が良く、目前に迫る大岸壁を見上げながら快調に進む。MBCから先は草木はほとんどなく、緩い登り坂で歩きやすい。しかし次第にガスが上がって来て、アンナプルナBCに着く頃には雪に。山は全く見えず明日の天気が心配になる。とりあえず目的地まで到着し、明日の天気を期待しながら寝る。(つづく)

 

 アンナプルトレッキング 4・最終回

10日目 4月5日(木)曇り→晴れ→雨 アンナプルナベースキャンプ(ABC)→バンブー
 早朝5時ごろ起きると、2~3cmの積雪と雲で辺りは真っ白。やはりダメかと諦めながら小屋から15分程の展望台に行く(諦めキレない)。すると段々と雲が切れて、アンナプルナサウスが見え、アンナプルナ1峰、マチャプチャレと次々と姿を現してくれた。さらに上にあがると氷河もはっきり見える。荘厳な景色を目に焼き付け写真に撮りなが、山小屋に戻り朝食。
 みんなで記念写真をとり、ABCを8時15分出発。今日はバンブーまで、登りで2日間かかった距離を1日で降りる長丁場。それでも今朝の感動と余韻のせいか、足取りは軽い。ABCとMBCの中間位までくる頃には、周囲の山々は雲に覆われ見えなくなる。バンブーに18:15到着。よく歩きました。

11日目 4月6日(金)晴れ  バンブー→ジヌー ヒル事件
 バンブー発8:00、今日は最後に温泉が待っている。どんな温泉かと期待は膨らむ。その前に、来たときに通ったチョムロンの急勾配の階段登りがある。宿泊地近くになって雨に降られるが、ジヌー(1780m)に15:20着。
 さっそく温泉に向かうが、私にとってこのトレッキング最大の危機というか、大事件が待ち受けていた。宿から温泉まで20分ほど下るが、道を間違えてしまい、一人だけ林の中に迷い込む。しかも雨上がりで歩いているうちに、足のあちこちに蜂に刺されたような痛みを感じ、見ると数匹のヒルが私の足にくっついていた。慌てて振り払う。冷静になって(ほんとうは冷静ではなかった)来た道を戻る。その間何度もヒルに襲われ、2、3分歩いてはヒルを剥がし20分ほどで、無事正しい道にたどり着く。やっとの思いで温泉にたどりつくと、1匹のヒルが私の親指にへばりついていて大きく膨らんでいた。これも剥がしたが、吸われた傷跡は血が止まらず、温泉を楽しむ余裕もなく宿に戻り、テープで止血。それでも次の朝まで血は止まらなかったようで、テープや包帯、靴下は血の塊がへばりついていた。「ヒル恐るべし」。
 ちなみに温泉は、水着着用の混浴で渓流沿いにあり、料金は100rp。たくさんの人で賑わっていた。帰りは30分ほど登り返す。なお、温泉に入るまえに身体を洗うのがマナーのようだ。

12日目 4月7日(土)  ジヌー→シウイ=<バス>=ポカラ
 いよいよトレッキング最後の日。ジヌーを8:05発。谷沿いの道を歩く。所々に集落があり、畑や水牛、ニワトリなども家畜も見かける。シウイ(1400m)に13:45着。今日でトレッキングも終了。ここから、バスでポカラに戻る。途中の道路から見える山並みや集落を見ながらアンナプルナに別れを告げる。 

                          ポカラにある日本山妙法寺
13日目 4月8日(日) 晴れ
 予備日が1日あったので8日は、ガイドのマンサン宅へ道なき道をバスで登りお昼をごちそうになったり、ポカラ周辺に寺院や観光地を散策。買い物にもでかけ、あちこちの山道具の店に立ち寄り、アンダーアーマーのダウンジャケットを8000円でゲット。(多分にせものだが、見ためはそっくり)。


14日目 9日(月) 晴れ
 行きは命がけのバスだったので、みんなの希望でポカラからカトマンズに飛行機で移動。ここでも買い物。若い女の子の「ともだち.友達」とのかわいい笑顔にほだされ、小さい絨毯やショールを購入。その他、お土産の紅茶やチョコ、ショールなど購入。行きよりトランクケースはパンパンになった。
15日目 10日(火)晴れ
 午前中は、各自自由時間だったが、用意してくれたマイクロバスでネパールの市内観光と買い物をして、夜の飛行機で仁川空港を経由し、無事成田に戻る。
 いろんな経験ができたネパールの旅でした。次回はぜひ、エベレスト街道をトレッキングしたいと心に誓う。

 <追記>
 ガイドのマンさんが2018年夏に2ヶ月ほど、農業研修の下調べで日本へ来ました。本人の希望もあって、私と富士山に日帰り登山したあと、長野に行き、佐久市の親戚のトマト栽培を視察。その後、軽井沢で草刈り体験をして、上高地を案内し、松本の友人宅へ送る。来年秋に、ぜひエベレスト街道をトレッキングしましょうと、約束して分かれる。
 今年の秋はエベレスト街道だ。カラパタールとゴーキョピークにいくぞ!
                                       終わり